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あなたは、戦国時代に最強と言われた武将をご存知ですか。
その名を「武田信玄」と言います。
では、ここで、あなたに問題です。
武田信玄と言えば、有名な言葉がありますよね。
ヒントは4つの漢字からできた言葉です。
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正解は「風林火山」です!
今でも、有名な言葉ですね。
では、さらに、あなたに問題です。
「風林火山」ってどういう意味なんでしょうか。
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では、答えをどうぞ!
あなた:「ん~。頭の中ではわかっているんだけど・・・。」
では、私が代わりにお答えしましょう!
私:「風林火山とは・・・ん~。頭の中ではわかっているんですけど・・・。」
頭ではわかっていても、言葉にするって、あんがい難しいんですよね。
いや、おはずかしい。
ということで、今回は「風林火山」の意味をわかりやすく簡単に紹介します。
さらに、これは必見ですよ!
じつは「風林火山」には続きがあったんでが、これも紹介しちゃいましょう。
では、風林火山の謎をときにまいりましょう。
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目次
風林火山の読み方と意味
甲斐の国をおさめていた戦国大名で武田信玄。
その武田信玄の軍旗に書かれていた「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」という文言。
この文言の一部の漢字を取って「風林火山」と言われています。
しかし、武田信玄やまわりの武将が「風林火山」と言っていたわけではありません。
江戸時代以降の読み物などに、この言葉が使われていますが、戦国の当時は「武田信玄の軍旗」とか、「孫子の旗」と言われていました。
それでは、この言葉の読み方と意味を、簡単にわかりやすく説明しましょう。
疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山
これは、こう読みます。
疾(はやき)こと風のごとく
徐(しず)かなること林のごとく
侵掠(しんりゃく)すること火のごとく
動かざること山のごとく
敵を攻(せ)めるときには、風のようにはやく攻めましょう。
敵を攻める準備をちゃんとして、敵が近くにいても、敵にわからないように、落ち着いて林のように静かにしていましょう。
敵を攻撃するときがきたら、猛烈(もうれつ)に火のように戦いましょう。
自分たちの陣営を守るときには、どんな攻撃をうけようとも、山のように動かず守り抜きましょう。
これは、戦いのときに絶対に守るべき、4つの心構えを誰にでもわかるように説いたものです。
天下統一の目前までいった、織田信長をして、武田信玄を恐れ、嫡男の織田信忠と信玄の娘の松姫と婚約を成立させたりしています。
あの織田信長をして、武田信玄の強さを恐れていたのです。
その武田信玄が戦いに勝つために自軍に守るべき心構えとして軍旗に書いていたのですから、意味ある言葉として、納得です。
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風林火山の由来は孫子にあり!
ところで、この「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」という文言の由来はどこからきているのでしょうか。
それは、古代中国の春秋時代に孫武が書いたとされる「孫子」からきています。
「孫子」は戦いに勝つにはどうすればいいかを、理論的に述べています。
戦いの勝利の方程式を誰にでもわかるように、理論的に述べている「孫子」だからこそ、信玄も学んだんですね。
なので、現在でも「孫子」は人気があり、経営学や営業ノウハウの本としても使われています。
そして、この「孫子」の一部を軍旗に使ったので「孫子の旗」と言われていたんですね。
では、次に、信玄がその軍旗に使った「孫子」の箇所を紹介しましょう。
風林火山には続きがあった!
「孫子」から信玄が引用した箇所がこちらです。
故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆
この漢文はこう読みます。
ゆえに、そのはやきこと風のごとく
その静かなること林のごとく
侵略(しんりゃく)すること火のごとく
知りがたきこと陰のごとく
動かざること山のごとく
動くこと雷霆(らいてい)のごとく
難知如陰、動如雷霆の箇所が信玄の軍旗には使われていません。
そして、この箇所が「風林火山」の続きの部分と言われる箇所なんです。
それでは、この難知如陰、動如雷霆の漢文の意味も紹介しましょう。
難知如陰は「ひそかに行動するときには、敵に味方の軍の姿をみせないように」
動如雷霆は「戦うときには、激しい雷が落ちるように、徹底的に相手に打撃をあたえましょう」
という意味になります。
では、なぜ信玄は難知如陰、動如雷霆を軍旗に使わなかったのでしょうか。
なぜ風林火陰山雷、または風林火山陰雷にならなかったのか
「孫子」の「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆」の箇所は、
「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷霆」ではないかとも言われています。
ですから、信玄が「孫子」のこの部分をすべて軍旗に使っていたら「風林火陰山雷」または「風林火山陰雷」と言われていたかもしれません。
なぜ、信玄がすべての文言を使わなかったかは、定説があるわけではありません。
ただ、この漢文を見ていると、私は「難知如陰」は「其徐如林」と似たような意味だと感じます。
そして、「動如雷霆」は「侵掠如火」と似たような意味に感じます。
戦いにおいて、自分の軍に戦い方を指示し、覚え込ませるためには、指示は簡潔なほうがいいはずです。
それで、信玄はすべての文を使わずに、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の部分だけを軍旗に使ったのではないでしょうか。
タイムマシンが私が生きているあいだに発明されたら、信玄に会いに行って、その真相を確かめたいですね。
そんな時が来たら、信玄から聞いて、この記事に書き加えますね。
まとめ
戦国武将最強と織田信長さえ恐れた、武田信玄。
その信玄が軍旗に使っていた「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」いわゆる「風林火山」。
この「風林火山」は信玄や他の武将が言ったわけではなく、後世になって言われ始めたものです。
しかし、「ふうりんかざん」という読み方は、語呂がいいですし、おぼえやすいですよね。
そして、「風林火山」の出典である「孫子」。
この「孫子」は今でも、「経営学」、「仕事術」、「営業術」、「営業戦略」などのお手本として多くの人に学ばれています。
あの武田信玄が手本とした「孫子」を、「風林火山」の意味を知ると同時に、学んでみてもいいのではないでしょうか。
営業マン一筋の私も、大変勉強になる書物です。
レッツ「風林火山!」
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