他力本願の意味を誤用していませんか?本来の意味と類義語を紹介

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「他力本願」という言葉があります。

使い方誤用する言葉として有名です。


「他力本願」というと「他人任せにしてしまう」というニュアンスで使っている人が多いようです。

「他力本願」の言葉の意味を知っているか聞いている阿弥陀如来

じつは「他力本願」という言葉の本来の意味は、まったく違う意味なんです。

ということで今回は、「他力本願」という言葉の本来の意味とはどんな意味なのか。
さらに類義語も紹介します。

誤用しやすい「他力本願」の本来の意味を知り、あなたの豆知識を増やしませんか?

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目次

他力本願の誤用

よく「他力本願」をこう使うことが多いようです。

他力本願の誤用

なにか困ったりしたときに自分では解決せずに、
他の人の助けをあてにすること。



「あのひとはなんでも他力本願で困ってしまう。」


実際の会話でもこういう使い方をすることが多いようですが、本来の意味の使い方ではこれは誤用なんです。



ただ言葉の意味というのは時間の流れによって変化していくこともあります。

今ではこの誤用がいかにも正しい使い方のようになってしまっています。

そのうちにこの誤用が正しい意味や使い方としてなってしまうかもしれませんね。


ただ今では「他人任せ」というのは間違った使い方と言えますから、正しい意味を知っておくのも必要ですよね。

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他力本願の本来の意味

「他力本願」という言葉の「他力」がどうしても他人というふうに思われがちなんです。

そこでどうしても「他人にたよる」=「他力本願」と思われがちになってしまいます。


じつは「他力」とは他人ではなく仏教の阿弥陀如来(あみだにょらい)の力にすがることなんです。


仏像の種類は4種類!?その見分け方を仏像の特徴で紹介」の記事でも紹介していますが、

仏の世界にもランクがあって、阿弥陀如来が属する如来のランクは会社組織でいうと役員クラスにあたります。


その阿弥陀如来がワンランク下の階層であった菩薩のときに人々を救うためにたてた48の誓願のことを本願というのです。


その誓願のなかでも大切な誓願に、弥陀如来は「自分のことを信じ自分の名前を唱えてくれる人は必ず救う」という誓願をたてています。


「南無阿弥陀仏=阿弥陀様に帰依します」と念仏を唱えれば、どんな人でも阿弥陀如来が極楽へ連れて行ってくれるということなんです。


ということで「他力本願」の本来の意味はこうなります。

他力本願の本来の意味

阿弥陀如来の力に頼って阿弥陀如来の誓願により助けられること。

阿弥陀如来の力で助けられることを他力本願というんです。


なんでも人任せにしてしまうことを「他力本願」と言うのは本来は間違いなんです。

類義語

「他力本願」の誤用と本来の正しい意味を紹介してきました。

それではこの言葉の類義語を、誤用のときと本来の意味両方でみていくことにしましょう。

「他力本願」の誤用の場合の類義語

  • 他人任せ
  • 丸投げ
  • 無責任
  • 依存しっぱなし
  • おんぶに抱っこ


この言葉は、あくまで「他力本願」の誤用したときの類義語です。

それでは次に、「他力本願」の本来の意味での類義語を紹介します。

「他力本願」の本来の意味での類義語

「悪人正機」という言葉が正し類義語になります。


「悪人正機」とは浄土真宗の開祖である親鸞(しんらん)の教えです。

仏教を信じない悪人、人生に悩み苦しんでいる悪人こそ阿弥陀仏の慈悲、本願によって救われるということを意味する言葉です。


「悪人正機」という類義語はいろんなことに悩み苦しんでいる人にとって、心の救いになりそうな言葉かもしれません。

まとめ

「他力本願」の本来の意味は阿弥陀如来の力で助けられることなんです。

阿弥陀如来が「南無阿弥陀仏」と唱える人は必ず救われるという誓いを立てたからなんです。


ただどうしても「他力」という言葉が「他人任せにする」と勘違いされて誤用されることが多くなってしまっています。


言葉の意味は時代の流れとともに変化していくこともあります。

仏教用語である「他力本願」が仏教から離れ、「他人任せ」と誤用されるのも仕方がないのかもしれません。

ただこの言葉が間違った意味で使われているのを耳にしたときに、本来の意味を教えてあげるのも素敵なことだと思いませんか。

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