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あなたは食事を食べる前に「いただきます」とちゃんと言っていますか。
ふだん何気なく言っている「いただきます」という言葉。
私は子供のころから言っているし、大人になってからもその言葉の意味も深く考えずに言っていました。
ところがこの前、小学生の子供からあることを聞かされて衝撃を受けました。
それは私がいかに惰性で「いただきます」を言っていたのかを思い知らされた瞬間でもありました。
そこで今回は「いただきます」の意味。
そして私が小学生の子どもの食育授業から学んだことを紹介します。
あなたも私の小学生の子どもの食育授業の体験話から「いただきます」という言葉の意味をもう一度考え直してみませんか。
日本は今簡単に賞味期限切れが近くなった食べ物を廃棄処分しています。
そのことがどんなことを行っているのかを一度考えてみる必要があるのかもしれません。
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目次
いただきますの意味
食前の慣用句のような言葉の「いただきます」
なぜ食事の前に「いただきます」というようになったのでしょうか。
いただきますの由来
あなたは時代劇で、殿様の家来が殿様からのいただき物をもらいうけるときの場面をみたことがありませんか。
殿様からのいただき物を家来は自分の頭の上に載せるような仕草をしてもらいうけます。
日本では位の上の人から物をもらうときには敬意をもってこのような仕草をしていました。
このことから「もらう」の謙譲語である「いただく」から、食べ物をもらう⇒食べ物をいただく。
そこから食事の前の「いただきます」という挨拶が始まったと言われています。
いただきますの2つの意味
位の上の人から物をもらうことから生まれた「いただきます」という食前の挨拶。
この「いただきます」という言葉には2つの深い意味があるんです。
食事を食べれるようにしてくれた人への感謝
どんな食事であれ、その食事を食べれるという事はいろんな人の努力の結果なんです。
たとえばその食事を作ってくれた人。
そして食事の材料である野菜を作ってくれた人や魚を海や川から獲ってくれて人。
食事として目の前に並ぶ前には、多くの人の努力があってこそです。
もちろんその食材を購入するお金を稼ぐために働いてくれている両親などもふくまれます。
あなたはそれらの多くの人の行動をいただくことで食事をすることができるんです。
それら多くの人への感謝の意味を込めて「いただきます」と言って食べ始めるんです。
命あるものへの感謝
あなたは野菜であれ魚であれ肉であれ、いろんな命あるのもの命をいただくことで食事ができるんです。
動物や魚だけではなく、野菜だって命はあるんですよ。
なので「あなたの命を食べることで私の命にさせていただきます。」と命ある食材に感謝しなくてはいけません。
「命をいただく」⇒「いただきます」という食前の言葉の意味があるんです。
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いただきますの食育授業
私の家族は福岡県の田舎町に住んでいます。
家からほんの数分歩けば、そこは田んぼだらけの田舎町です。
そんな田舎町の小学校に私の子どもは通学しています。
そしてその小学校は食育のための田んぼを持っているんです。
小学校が持っている田んぼは小学生が自ら稲を育て収穫をします。
合鴨農法
小学生が育てる稲ですから農薬は使いません。
その代わりに合鴨をみんなでひなから育て「合鴨(あいがも)農法」を実践しています。
「合鴨農法」とは合鴨を田んぼにはなち、雑草や害虫を合鴨に食べてもらう農法のことを言います。
肥料は合鴨のフンが肥料の代わりになるんです。
ただ米ができ稲穂がたれる時期になると合鴨が稲穂を食べてしまうので、合鴨は田んぼから出してしまいます。
お役御免になった合鴨は成長し大きくなっていますから、翌年は合鴨農法に使うことができません。
というのも大きくなった合鴨は早い時期に稲穂を食べてしまうからなんです。
合鴨をみんなで食べる食育授業
私の子どもが行っている小学校は、大きく育った合鴨をみんなで面倒をみることをしません。
ではどうするのか。
ひなからみんなで育て合鴨農法で活躍してくれた合鴨を、小学生みんなで合鴨鍋にして食べてしまいます。
合鴨をすぐに食べてしまうことはありません。
道徳の授業で合鴨をどうするべきかみんなで話し合う授業が行われます。
みんなの田んぼのために活躍してくれた合鴨をどうすべきか作文を書く宿題もありました。
子どもとしては合鴨をみんなで育てたかったらしいんです。
なので私に合鴨を育てる理由を相談してきて作文を書いていました。
しかし結局みんなの田んぼのために頑張ってくれた合鴨はみんなで食べることになりました。
私の子どもは悔し涙を流しながら合鴨を食べなくてはいけないことを話してくれました。
子どもに教えたいただきますの本当の意味
私は悔し涙を流しながら話してくれる子どもにこう言いました。
私:「みんなでご飯を食べる前にはなんて言ってる?」
子ども:「いただきますって言ってるよ。」
私:「じゃあなんで、いただきますって言うんだろうね。」
子ども:「・・・・・。」
それから私は子どもに家で毎日食べているものも、みんな命あるものの命をいただいていること。
そして人は他の命をいただいていかないと生きていけないことを話しました。
野菜だって魚だって牛や豚だってみんな尊い命を持っていること。
その命をいただいて生きているんだから「あなたの尊い命をいただかせていただきます。ありがとうございます。」という感謝の気持ちを忘れてはいけないこと。
その感謝の気持ちを忘れないために「いただきます」と言うことを子どもに言い聞かせました。
子どもは頭ではわかったようですが、やっぱり合鴨は食べずに育てたかったと言っていました。
私は子どものそんな気持ちを無理やり「いただきます」で納得させようとはしませんでした。
命の尊さは時間をかけ学んでいってほしいと思ったからです。
人は生活が豊かに便利になってくると、自分一人で生きているような気持ちになってしまいます。
自分のまわりの命ある全ての人やものに助けられて生きていることを忘れがちになってしまいます。
物があふれている日本で育っている子どもにとって「いただきます」の意味を心の底から納得するのは簡単なことではないかもしれません。
でも「いただきます」の心は絶対に忘れてはいけないことなんだと、私も子どのも食育授業から学ぶことができました。
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まとめ
食前の言葉、「いただきます。」
この言葉の意味は、食事をすることの関係してきた全ての人の行いを感謝を込めていただくこと。
もうひとつの意味は食事をするということは「尊い命あるものの命をいただくことで自分の命を保っている」こと。
この2つの意味から「いただきます」を言っているんです。
この記事で紹介しました、私の子どもが行っている合鴨を使った食育授業をあなたはどう思いますか?
「みんなにために頑張ってくれた合鴨を食べるなんて!」と怒りを感じた人もいるかもしれません。
でも、そんなあなたでも食事をするときには尊い命をいただくことで食事ができているんです。
人はみんな「いただきます」で生きていくことができます。
一度、ふだんなんとなく言っている「いただきます」という言葉のことを考えてみませんか。
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